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コミュニケーションBLOG

人間関係を楽にしてみませんか?

2度目のお産は切迫早産で1ヵ月間寝たきりだった

 

両手でお腹にお腹にハートマークを作っている女性の写真

誰もが安産を信じて疑わなかったのに、図らずも帝王切開になってしまった長男の出産。めげずに続けて3人生むぞ!と張り切っていたのに、結局また5年間子どもができなかったのです。運よく2人目ができたときは、家の新築と引っ越しであわただしく、心身共に疲労困憊していた時期。引っ越して10日目に妊娠しました(笑)

突然の大出血

順調なマタニティライフを過ごしていたある日、2階の子ども部屋で息子と2人で寝ていた夜。下着が濡れるのを感じて、あわててトイレへ駆け込みました。すると、便器が真っ赤になる多量の出血。いったいこれは何だろう?一瞬何が起きているのか訳がわからず。

二世帯住宅の隣家には、じじばばがいるので、ばあちゃんに息子を預けてじいちゃんに病院へ送ってもらえたかもしれません。が、わたしは遠慮しました。お腹の中の赤ちゃんの胎動を慎重に確認しては「生きてるな」と思いながら朝を迎えたのです。(←ここが怖いよね、看護師って。何かあったらどうするんだ)

翌朝、愛車で息子を保育園に送り、その足で病院まで小1時間朝の通勤ラッシュの中を1人で運転して行きました。

緊急入院

産科外来で健診担当の助産師に出血のことを伝えると、すぐに診察してもらえました。

「どうして、ゆうべのうちに来なかった!!子宮口が2cm開いてお産が始まってる!」

いきなり医師に怒鳴られました。で、即入院。点滴につながれベッドで寝たきりの絶対安静となりました。妊娠30週、7ヵ月の半ばでした。

勤務中、お腹が張ることが多く、歩きにくいなぁと思っていたのに平気で働いていたのがいけなかったかも・・・。

「車を置きに帰って荷物を取ってきてもいいですか?」と一応聞いてみました(笑)もちろんダメに決まってるけど。とりあえず、上司に入院したことを電話で報告。

助産師資格のある上司の言葉

その日は朝になるのを待って、上司の家に電話しました。今日は休みます、と。すると「学生実習初日のオリエンテーションはどうするんや!」と怒鳴られました。助産師なのに、この出血の意味がわからないのか?と悲しくなりました。

でも、母は強し!きっぱりと「どうしても行けません」と伝えました。お腹の子どもの命には代えられないので。

子宮頸管縫縮術(しきゅうけいかんほうしゅくじゅつ)

 2人部屋の窓側のベッドで寝たきりの生活が1週間続きました。トイレはベッドサイドでポータブル便器を使用します。食事と洗面はベッドに座りますが、それ以外はじっと寝たままです。ブラインドの隙間から見える空は、いつも曇って見えました。

目に刺さる直射日光が辛いのでずっとブラインドをおろしていたのですが、廊下側のベッドの若い妊婦さんが面会の夫に耳打ちするのが聞こえます。「隣の人、暑がりでブラインドあけてくれないから暗くて寒いわ」

お腹の張りがおさまるのを待ってから手術です。開いている子宮口を丈夫な糸で縫って縛って固定する手術のことを子宮頸管縫縮術といいますが、別名「マクドナルド法」ともいいます。腰椎麻酔(硬膜外麻酔)で行います。このときも、麻酔の効きが悪くて、痛い思いをしました。

縫い終わった主治医が、わたしのお腹を触りながら「お腹がガチガチに張ってるぞ?」といいます。「だって、痛いんですよ~先生」わかってくれたのかしら?

大部屋に移ってトイレとシャワーが許可に

数日経過を見て安定していたので、大部屋に移動できました。24時間点滴は同じですが、トイレに歩けます。もちろん、シャワーもOKです。それだけでも天国でした。

普通の人は、シャワーのたびにヘパリンロック(今はヘパリンは使いません)をして、留置針だけ残して点滴を外してもらいます。でも、わたしは点滴をしたまま自分で着替えができるので、そのまま自由にシャワーを使っていました。

病室にある点滴スタンドに付けられた輸液ポンプの写真

出典:輸液ポンプ使用時、クレンメの位置はどこですか? | 看護師のスキルアップをするためのブログ

再び寝たきりに・・・

そんな快適な日々は、長くは続きませんでした。ある晩、トイレへ行くと下着に血液が付いていたのです。それを持ってナースステーションへ行きました。試験紙でチェックすると羊水が混じっているとのこと。

翌朝、大部屋から出されました。ポロポロと涙が出てきます。泣いているわたしを見て、看護師は驚いたような困った顔をしていました。歩いていくと言っても、車椅子に乗せられての移動でした。

個室(2人部屋)が空いていなかったので、手術患者さんの部屋に入りました。真ん中のベッドでカーテンを閉め切ってポータブル便器を使うのです。

同室の人達の会話が聞こえますが、声をかけたり教えてあげることはできませんでした。不安や疑問に答えることは可能なのですが、わたしは患者であり、そこの看護師じゃないので。そういう親切ができる精神状態ではなかったし。

経膣分娩をしたいと願っていた夢が消え去り、帝王切開での分娩になりました。翌日、2人部屋に移り、赤ちゃんが2000gになるのを待って手術の予定が決まりました。月曜の手術なので、土曜日にちゃんと麻酔科医と手術室ナースが病室に術前訪問にきてくれました。前夜は眠剤が処方になることや腰椎麻酔(硬膜外麻酔)の説明がありました。

今度こそ、プロにまともな麻酔をかけてもらえる。そのことが、とっても嬉しくてたまりませんでした。34週、8ヵ月の半ばでした。

3度目の出血

手術予定の前日の日曜日。朝5時にベッドサイドのポータブル便器に座ると、またしても多量の出血が。ナースコールを押しました。バタバタと人が集まり、採血されたり導尿の管を入れられたり。

血液検査の結果、白血球の数値が高くなっているので、胎児に感染の危険があるため緊急手術が決まりました。麻酔科医の麻酔の夢も、あっけなく打ち砕かれました。

2度目の帝王切開も・・・

息子の出産のときも、腰椎麻酔(硬膜外麻酔)がうまく効きませんでした。今回は、新人の女医さんが練習がてら麻酔をしました。度胸がなくて、一気に麻酔薬を注入できなかったので、またしても麻酔の効きが悪かったのです。

左横向きの体勢から仰向けになって、消毒やらなにやら準備が進められて行きます。でも、下になっていた左足は完璧に麻酔がかかっていますが、右足が動かせるのです。つまり、右側だけ麻酔が効いていません。膝を立てて見せたのですが、先生はそのままお腹にメスを入れました。

「痛いんですけど?」

当たり前でしょう。右半分、麻酔が効いていないのだから。仕方なく、腰椎麻酔(硬膜外麻酔)をやり直すことに。手術室内の空気がいっぺんに不愉快なものに変りました。待機していた小児科の医師へ「すみません、もう少し時間がかかります」と産科医が言いました。

消毒してディスポーザブル(使い捨て)の被布を掛けてあるのに、それらを全部取って捨ててやり直すのです。せっかくの被布が無駄になる。ナースは不機嫌な顔で、黙々と作業をします。わたしが悪い訳じゃないのにね。今度は反対向きの右横向きで背骨に注射されました。今度は新人女医ではなく、もともとの主治医に交替です。やり直しは、ぜんぶ古い布製の被布でした(笑)今どきそんなの、保管してあるんだ。

麻酔が覚めるまでに、倍くらい時間がかかりました。当然ですね、2倍の量の麻酔薬を使ったのですから。

予期せぬ過換気

 順調に手術が進んでいましたが、なんとなく息苦しくなってきました。両手が手術台に固定されているので動かせません。モニターを見ると酸素飽和度が100%です。酸素マスクを外したかったのです。過換気になっているので、酸素を止めて欲しかった。

「息苦しいんです」

わたしがそう訴えると「酸素は100%でちゃんと呼吸できているから大丈夫ですよ」手術室ナースが言います。だから、100%超えてるから苦しいんだってば~。主治医は、過換気だとわかったのか、うるさい患者を黙らせようとしたのか、すぐに「ホリゾン」と指示。 

1ヵ月間の点滴で、両腕の血管がボロボロだったので、手背(手の甲)に細い留置針を刺していました。もともとホリゾンは血管にしみて痛い注射液です。静脈炎を起こしている細い血管に注射されたので、その痛さに思わず「痛い」と叫んでしまいました。

主治医がびっくりしてわたしの顔を見ました。すぐに「点滴のホリゾンが痛かったのです」と説明しました(笑)実際には顔の前に布がカーテンのように掛けられているので、首から下の様子はわからないし、主治医の顔も見えません。あくまでそういう気配です。

術者と無影灯のある手術室内の写真

出典:診療科のご案内|離島医療を担う長崎県上五島病院のサイト。研修医、医師、看護師を募集しています。

天井の無影灯を見ると、ぼんやりと手術台の上が映っていました。何かの漫画の本にそんなことが書いてありましたが、本当なんだ。大きなお腹なので、カエルの解剖みたいだな~と思いました。

子どもに異常なし

「引っ張るよ!」の声で赤ちゃんが取り出されました。ちゃんと産声をあげています。よかった。小児科医が診察して、異常なし。2116gの女の子でした。髪の毛も黒々と生えています。全身の体毛もまだかなり濃かった。

その後の処置をしながら主治医が言います。「子宮には、どこも異常がないんだよね」切迫早産になった原因はわかりません。2度目の妊娠で、わたしが油断して生活や仕事をしていたのがよくなかったのでしょうか。

わたしが病室へ戻ると、「赤ちゃんの呼吸が弱くなったので、NICU(新生児集中治療室)へ移動しました」とのこと。念のためインキュベーター(保育器)に入るそうです。

31歳で1人目を生んだ後は、後陣痛(こうじんつう)がほとんどなかったのですが、2度目は傷の痛みよりも後陣痛の方が痛くて何度か鎮痛剤を飲みました。腰椎麻酔(硬膜外麻酔)をするときに、硬膜外チューブを背骨に留置して鎮痛剤を注入する痛みのコントロールが主流ですが、麻酔科医でなければしてくれません。

お腹の傷の災難

5日後にお腹の傷の抜糸でした。初めてガーゼを取った主治医が「あら!?」と大きな声。何事かと思ったら、傷の端っこが幅2cm高さ1.5cmくらいの三角形に盛り上がっていました。

新人女医さんが埋没縫合(まいぼつほうごう、の練習?)をしたのですが、縫っていくうちに片側のお肉が余っちゃったんですね~(笑)縫い直すことは言い出せなかったのでしょう、手術室ナースは怖いですから。それでなくても、被布を1回無駄にしていたしね。吸収糸の付いた針も高いんです。

そんないびつな傷も、時間が経てばちゃんと平らになることを、わたしはよく知っています。泣いたりわめいたりはしません。いたずらがバレてしまったような顔の主治医と目が合いましたが、わたしはにっこり。人間のからだは、ちゃんと自己修復するのです。交通事故で段違いに雑な縫われ方をした傷も、半年くらいで平らになるのを実際に見ていますから。

授乳と沐浴

娘との面会は、別のフロアで予防衣(ガウン)を着て入室します。窓越しに見える赤ちゃんたちのなかから、一瞬で娘を見分けられました。髪の毛がフサフサだから。胃に管を入れて点滴され、足のかかとは何度も採血されてタコのようになっていました。

5年ぶりの沐浴は、すっかりやり方を忘れていました。一応練習させられたのです。背中を洗うには、どうやってひっくり返すんだっけ???

赤ちゃんの沐浴の写真

出典:ベビーバスでの新生児の体の洗い方【ベビーソープでの沐浴】 | Dolci Bolle公式ブログ

母乳は自分で搾乳して届けていました。そして、初めての授乳は、ちゃんと吸ってくれたのでホッとしました。

ひと足先に退院、直後はボロボロ

手術後、わたしは肝機能が悪くなって、その治療のために1週間ほど退院が遅くなりました。それでも、娘より早く退院できたのです。点滴が毎日ありますが、以前のような留置針ではなく、肘の太い血管から点滴して終わったら抜いてもらえます。

点滴が終わるとナースコールで看護師を呼ばずに、自分で抜針してナースステーションへ持って行きました。

手術後は、6人部屋の廊下側のベッドでした。数日して、窓側に移りましょうと言われました。廊下側で不満はなかったのですが、素直に従いました。このとき、自覚していなかったのですが相当のストレスが溜まっていたのだと思います。

気が付くと、自分のベッドをできるだけ窓から離していました。真ん中の人は狭くて暗くて大変だろうとすまない気持ちがあるのに。でも、彼女たちはわたしよりも先にさっさと退院していきます。自分のスペースを死守する。そんな心理が、自分でも不思議でした。

退院した翌日から、娘の授乳に毎日通いました。1ヵ月半の入院生活で、体力が予想以上に低下しています。自主的に大腿四頭筋の等尺運動だけは、寝たきりの間も欠かさず続けていました。そのおかげで歩くことや階段昇降は驚くほどスムーズだったのですが、基本的な体力がガタ落ちでした。

退院翌日、独りで運転して病院へ行って帰ってくると、起きていられないほどの疲労感でした。気持ちとは裏腹に、からだは簡単に悲鳴をあげます。こんなにも弱っていたなんて。そんな通院にも慣れたころ、1週間遅れで娘も無事に退院できました。

育児休暇を切り上げ

通常は産後8週で復職するのですが、小さく生まれた娘をばあちゃんに預けるので、できるだけ本来生まれる予定だった日から8週間までは、わたしが面倒を見るつもりでした。娘は7月生まれですが予定日は9月の始め。そこから8週間だと10月末から復職ですが、ついでだからお正月が明けてから仕事に戻ることにしていました。

ところがいざ産休が明けると、上司が「早く戻ってきいや」と矢の催促です。根負けして仕方なく11月1日から復帰しました。育児休暇は、結局1ヵ月ちょっとしか取れませんでした。

flowcare.hatenablog.com

このあと、予期せぬ夫婦の危機や更年期障害との闘いが待ち構えていました。36歳で出産した後の体調の変化と、育児・家事・仕事のストレスが凄まじかった。その話は、また後日に。

 

りょうこのつぶやきでした。

では、ごきげんよう。

画像元:痛みで眠れない夜が続く……帝王切開出産の前日から術後4日間を完全レポート! - 赤すぐ 妊娠・出産・育児 みんなの体験記