コミュニケーションBLOG

文字によるコミュニケーションには、ブログをはじめ作文や感想文など様々な場面で「書く」技術が必要になってきます。難しく考えずに気楽に書いてみませんか?

共感と同情の違いは?

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他人の痛みや悲しみを、自分のことのように受け止めて反応することを、共感という。これは、生まれ持った能力なのか、後天的に学習して備わるものなのか?同情と同じではないの?

ストレスへの共鳴

発達心理学の世界では、幼児は他人と自分の区別がつくようになる前から、他人のストレスに共鳴するといわれている。

生後まだ数ヵ月の赤ちゃんが、他の子が泣き出すとつられて泣いてしまうことはよくあることだ。周囲の人の不安を、自分の不安として感じる能力を持っている。生まれつき持っている能力である。

だから、ちょっと熱が出ただけなのに若い母親がパニクって大騒ぎすると、赤ちゃんがその不安を自分の感情として受け止めてしまい、泣き止まなくなるのである。母親が落ち着いて付き添っていると、赤ちゃんは熱が高くても安心して眠れるようになる。

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運動模範(うんどうもはん)

赤ちゃんが持っているこの能力は、1歳前後で変化してくるという。1歳くらいになると、他人の苦痛は自分の苦痛ではないということがわかってくるのだ。

しかし、まだ共感する能力が無くなったわけではないので、受けとめた後の反応=行動に混乱が生じる。

ニューヨーク大学のマーティン・ホフマン*1の研究によると、泣いている子どもがいたら、その部屋に泣いている子どもの母親がいるのに、なぐさめようとして自分の母親をそばに連れて行った。その子の母親を連れていくべきなのに、違う行動(混乱)をしてしまっている。

また、指をケガして泣いている子どもを見て、自分の指もケガしていないかどうか調べるために、指をなめてみる。母親が泣いているのを見て、自分は涙が出ていないのに、涙をぬぐうしぐさをする。

このような行動は、動作をまねる「運動模範」と呼ばれていて、1920年代に心理学者E・B・ティチェナー*2が初めて「共感」(empathy)という言葉を使ったときに、念頭にあった概念である。

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共感と同情の違い

「empathy」は、ギリシア語の「empatheia」(情熱)に由来する言葉だが、ギリシア語の語源では「他人の主観的経験を知覚する能力」という意味で使われており、英語のempathyとは少し意味が違っている。

ティチェナーは、他人の苦痛に対する一種の肉体的模倣から起きてくる心理状態を表す用語として、「同情」(sympathy)とは違う「共感」(empathy)という言葉を選んだ。なぜなら、「同情」は、苦しんでいる人の感情を、一切共有(共鳴)しなくても感じられる感情だからである。

  • empathy=en(内部へ)+pathos(感情、苦しみ)⇒共感、感情移入
  • simpathy=syn(共に)+pathos(感情、苦しみ)⇒同情

「あなたは、悲しいんだね。可哀そうに」と同情しても、自分は悲しくもなんともない。

ところが、「あなたは悲しいのね。わたしも悲しいわ」と、自分も一緒に悲しむのが「共感」なのだ。もらい泣きも、共感。

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共感の消失

他人の苦痛を自分の苦痛であると感じて、その事実をまねて確認する動作が行動模範である。その行動の仕方は、2歳半あたりから子どもの行動パターンから消えてしまう。そういう反応(行動)をしなくなるのだ。

このくらいになると、他人の痛みと自分の痛みの違いがはっきりわかるようになる。だから、他人と自分を混同して錯覚を起こすことがなくなってくる。そして、他人を慰める方法も上達する。

子どもの先天的な共感は、原始反射と似たようなシステムなのかもしれない。生存と安全のために備わった能力であるが、成長と共に消えてなくなるのが普通なのだろう。

共感の学習

2歳半を過ぎた頃から、幼児の感受性に個人差が出始める。他人の気持ちに敏感な子どももいれば、まったく我関せずの子どももいる。

このような、他人に対する共感的な関心の差は、かなりの部分で親のしつけ(接し方)と関係があることがわかっている。

このことは、アメリカ国立精神衛生研究所のマリアン・ヤートケ=ヤロウと、キャロリン・ツァーン=ワクスラーが行った一連の研究によって明らかにされた。

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  1. 「ごらんなさい。あなたの行動で、あの子がどんなに悲しい思いをしたことか!」
  2. 「お行儀の悪い子ね」

1.の場合は、子どもの不適切な行為が他人に及ぼした苦痛を認識させる叱り方である。

それに対して2.は、単純に不適切な行動を指摘しただけで、そのことが他人に及ぼした影響については言及しない。

1.の叱り方の方が、共感することに関心の高い子どもが育つ傾向が大きいという。

また、子どもは、他人が困っているときに、まわりの大人がどう反応するかを見て、共感を学習していくこともわかっている。

おとなの行動をまねて、子ども達は共感のレパートリーを増やしていく。とくに困っている人に手を差し伸べる感受性を育ててゆくのだ。

つまり

「共感」には、みんなが持って生まれて自然に消えてしまうものと、入れ替わりに成長の過程で学習しながら身につけてゆくものとがあるんだね。後天的な共感は、親接し方によって大きな個人差が生まれる。

そして、共感と同情は違うということ。

なるほどね~。

参考リンク

*1 
参考文献)「EQ こころの知能指数」ダニエル・ゴールマン著 土屋京子訳 講談社 

ISBN4-06-256292-8

eqtest.biz

わたしのテスト結果は「65点」でした~。改善の余地がいっぱい・・・(汗)

 

りょうこのつぶやきでした。

では、ごきげんよう。