初めての、 スマホからの投稿です(笑)
単なるつぶやき。
昔、看護学生だった頃。
北海道大学の恵迪寮という木造の男子寮があった。
当時は、北大生主催のダンスパーティーが盛んだった。
今もまだあるクラーク会館:略してクラ館(くらかん)や、札幌の理美容センターが会場だった。
ダンパの前には、社交ダンスの講習会が開かれる。
北大のソシアルダンス同好会のメンバーが講師だったりする。
その恵迪寮のホール(小さな体育館のような感じ)でも、ダンスの講習会があった。
古い木造の建物は、二段ベッドが並ぶ部屋があり、室内にバイクが置いてあったりしていた。
ラブラドールレトリバーが、ど~んと座っていた。
廊下やホールの天井に、出がらしの紅茶のティーバッグがたくさん張り付いている。
濡れたティーバッグを力一杯高い天井にぶつけると、そのまま乾いて木の表面に張り付く。
不思議な世界だ。
若い頃は、黒っぽい服を好んでいたが、ダンパのときは、真っ赤な洋服で出かける。
札幌にも、相次いでディスコ(死語?)ができた頃の話。
ウッチャンナンチャンの社交ダンス部や、たまに社交ダンスのTV番組を見ると、昔を思い出す。
ダーリンはリズム音痴で、ダンスは下手くそ。
でも、じいちゃんは社交ダンスをずっとやっていて、姿勢はいいし大会にも出場していた。
じいちゃんは、2014年に、肺の小細胞癌で急逝した。
恵迪寮は、冬のジャンプ大会で有名。
毎年、寮の2階から赤フン一丁で裸で雪の山にダイブするジャンプ大会。
TVも取材にきて、冬の風物詩のひとつだった。
同じ北大構内に、 早和寮(さわりょう)という女子寮があった。
当時は、看護学校が全寮制で、札幌市内に自宅があるのに、わたしも 早和寮で暮らした。
恵迪寮のジャンプ大会には、早和寮の先輩達が審査員として招かれていた。
懐かしい青春の思い出。
看護学校を卒業して、北大病院に就職。
早和寮と廊下でつながっている看護婦宿舎:略して看宿(かんしゅく)へ引っ越した。
看宿の前には広い芝生があって、そこに北大生がストームをかけに来る。
5~6人で円陣を組み、高下駄・黒マント・角帽に学生服のいでたちで、肩を組んで歌う。
歌い終わると一列に並び、お目当てのナースの名前を看宿に向かって叫ぶ。
「りょうこちゃ~ん」と。
窓から眺めていたわたしは、小さく手を振る。
すると喜んで帰って行く。
3交代勤務で、昼間はいつ部屋にいるかわからないと思うのだが。
どうやって調べていたのだろう?
先に恵迪寮が取り壊され、やがて早和寮もなくなった。
北大病院は大きく建て直され、空き地は業者用の駐車場になっている。
西5丁目の郵便局と消防署は、当時のまま変わっていない。
7年間、わたしの住民票は 北大構内だった。
看宿には、ダーリンがこっそりお泊まりに来ていた。
一応男子禁制?
結婚を機に北大病院を辞めて、ダーリンの地元に転職、引っ越し。
結婚して現在に至る。
りょうこのつぶやきでした。
では、ごきげんよう。
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